クラウドファンディング
2021年 06月 06日
コロナ騒動下、昨年と今年で2つのクラウドファンディングに応募した。
出資という大きな金額じゃ無いし、だから利益からの資本回収もない。
社会に必要だから、少しだけお手伝い。
今回はめぐみさんと同じ昭和39年生まれという個人的な理由もある。
さて、クラウドファンディングと云うもの、考えてみれば日本と云う国にとても合った手法だと思う。
かって一銭橋の成り立ちについて書いたが、同じであろう。投資というより篤志、資金回収が一人一銭で出来る訳がない。
エルトゥールル号事件でも平均国民所得26円と貧しい筈の国民は義援金を出す。
拙の居る箕面市には富くじで有名な箕面山瀧安寺がある。これも、博打ではなく、勧進目的。そう、勧進という言葉こそ、クラウドファンディングの訳語として良いと思う。一部還元も含めて富くじは似ている。
古くは奈良時代。東大寺は官寺であるが、その資金の一部を勧進で賄った。
普通世界の常識では、人頭税などの目的税を制定して国家的な社会事業の資金にするが、あえて国民の自由な寄付にしたのは、一戦橋で書いた様に、”あがらの”という気持ちをみんなで持つ意義を聖武天皇も行基菩薩も知るからだと思う。
史家は中央集権だの国家権力の象徴がどうたら云うが、強制動員の責任者を”菩薩”とはよばんだろう、どう考えても。反国家権力の象徴とも云える行基が、納得してそれを引き受け、多額の資金が集まり、死後も名声を失わない。そこに当時の国民の意思を感じないか。
かって、映画制作でも”ひとこまサポーター”と呼んでクラウドファンディングをしていたが、金額より、川本喜八郎の最後の作品作りに多くの人に参加してもらいたいという想いが強く押し出されていた。
以前どこかで書いたが、親の総取りじゃないが、奴隷を使役して集約的に産業をおこし、市民階級が総取りする都市国家型の文明と、生産力が小さいぶん全員で分け合わないと生きていけない蛮族では、仲間意識のありようが違う。日本で流行るクラウドファンディングの新しいが懐かしい景色は、似たようなものが昔からあるからだと思う。
コロナ騒動でも、誰が抜け駆けしただの、誰が儲けただのと新聞は書き野党がのっかるが、そこからは広まらない。逆にクラウドファンディングはとても多くなった。社会変容を感じる。新しいより温故知新じゃないかな。
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by hg20706
| 2021-06-06 21:15
| くだらない戯言