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死生観

明治生まれの父方の祖父が入院したと知ったのは1月だった。
99歳の秋か冬に
畑に入るのにはしごを登りそこね落下
腰の骨を折った
リハビリセンターで治療中に
腸管破裂で意識不明
近くの病院に転院していると
仕事の都合で1月になって帰省した拙に
父親が告げた
妹を若くして亡くしたからか、父親は病気だとか死が怖い
(母親の長期療養も、胃がん手術も拙が一人で付き添ったくらい)
拙の帰宅を待っていたらしく、家族で見舞いに行った。

幸い、その日は意識が戻っていて
見舞いに来た父親に、仕事をしっかりしろとしかりつけていた
帰路、タクシーの中で回復を喜ぶ父親に
生きているうちに合わせてくれてありがとう
と云うと、父親は黙った
脊髄神経損傷による腸管麻痺が原因だから、
麻痺した内臓が動かない以上、先のないことはこの仕事をしていると想像しやすい
その月中に祖父は亡くなり、和歌山にいる人間だけで葬式に参列したと聞く

幼児の時に、実の祖母の葬式に出て以来
葬式に何度も出ているからか
幼稚園の友達と思っていた連中に追われ
石つぶてで額を割られたからか
拙は死を怖いと思うことがない
今でも、怖いのは
”死”そのものではなく
それが奥さんを困らせること

生きている以上、死はいつも隣にいる存在で
忌むのも、意識から遠ざけようとするのも、逆にさも重大事のように他人を責めるのも
拙には理解できない
どう生きるか、どの様な死が望ましいか
その為に何をすればいいか
そういう方向にしか考えが向かないのは
現代人としては
おかしいのだろう

をみるが
より多くの人の命を救う救助の本質論を避けて
一人一人の命の話にし
死の恐怖を強く訴えて
複雑かつ難解、
そして視聴者はどうすればいいかという結論から逃げる番組になった





by hg20706 | 2019-01-19 21:57 | くだらない戯言

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