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歴史認識の定義がわかった(笑)

「たかじんのそこまで言って委員会」関連で
天木直人氏のblogに”歴史認識”についての定義があった。
おおいに参考になる(笑)
この人がblogを発信し始めたときは、
小泉改革に公然と反対した硬骨漢だと勘違いしてよくみていたが、
自分の専門外、知識の外のことまで一つのエントリーに幾つも書いてゆく
初心者っぽさ、脳天気ぶりにあきれて
記憶の外の人になっていた
久しぶりに読んで、論点をきちんと絞れるようになってきたけど・・・やっぱり脇が甘いわ

それはさておき、歴史認識という言葉を主張する人の”歴史認識”に対するイメージが少しつかめた。
天木氏曰くの

「歴史認識というものは、古今東西の多くの学者や専門家が膨大な時間とエネルギーをかけて検証した業績を総合的に吟味し、大勢とされる意見に従う、それが歴史認識なのだ。」
国際政治と学者・専門家がどう結びつくかわからないが、とりあえず多数決ということでいいのか?
これが前文の
「個人が知りうる知識は所詮限られている。おまけにすべての情報が公表されているわけではない。情報隠蔽や操作もある。」
に、どう「だから」と結びつくのかが私にはさっぱりわからないが
「誰も知らないような瑣末な発言や記録を殊更強調してみたところで、皆を説得できる史実にはならない。歴史認識をめぐる論争は、特殊な知識の競い合いではないのだ。」
とも書いているので、歴史の専門知識も必要なさそうなのだ。

とすれば、”歴史認識”を歴史観と比較したことは私の大きな勘違い
これは歴史用語ではなく、政治用語
国際政治世界の専門家が喧々囂々すればいいということか。

「歴史は国際政治の所産であるという事実」
これは事実である。歴史といわず、国際的に意見を主張するには、それなりの力が必要である。だが、
「日本はポツダム宣言を受け入れて敗戦を認めたのだ。」
で終わっては、政治の無策。後世、とある時代に大国に押しつぶされた事項を書き改めた例は枚挙にいとまがない。
ましてや、村山談話のような公式見解ではなく私論。
「この際、あの戦争はなんであったのかという事を、国民一人一人がよく考えなければならない、その切っ掛けを作ってくれたからだ。」
とのご意見で結論にしていいと思う。
「いくら議論しても勝ち目はない。」だの
「歴史認識とは個人の意見ではない」
という”歴史認識”などという政治用語が出てくる必要はない
by hg20706 | 2008-12-05 17:02 | くだらない戯言

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